明日は、9月1日。
夏休みが終わり、学校が始まります。
さんざんニュースになっているのでご存じの方は多いかと思いますが・・・
18歳以下の子どもの自殺が、もっとも多い日です。
脅すわけではありませんが、あなたのお子さんは大丈夫でしょうか?
NPO法人の代表さん、教育評論家さん、上野動物園・・・
みんな口をそろえて、「逃げろ」「無理していかなくていい」といっています。
僕もその通りだと思います。
でも。
あなたのお子さんが自分の口で「行きたくない」といってくれたり、わかりやすいサインを出してくれていたらいいですが。。
もし、夏休み前と全く同じ様子だったら、どうでしょうか?
いつも通りに家を出て、そのまま、帰ってこなかったらどうでしょうか?
自殺するほど悩んでいる子どもは、悩みを言えないから苦しいのです。
自殺する子どもは、優しい子どもです。
優しいからこそ「親に心配をかけるたくない」と、一人で悩みを抱え込むのです。
今日は。
小学校・中学校の合計12年間。
人生最悪の9月1日が来るたびに、僕を自殺から引き戻すために親がしてくれたことをお話しします。
お父さん、お母さん。
明日は・・・
早く起きましょう!
僕も「地獄の9月1日」を乗り越えてきた人間です。
小学校・中学校の12年間。
【物がなくなる】【グループに入れない】のは当たり前。
キャンプではテントに入れてもらえず、朝が来るまで湖に石を投げ続けて夜を明かし。
画鋲が入っていることが分かっている上履きを1日中履かされ、「プロレスごっこ」と称して肩を脱臼させられ・・・
「地獄」以外の言葉が思い浮かびません。
厳密には、高校でも学級委員や掃除当番・・・面倒なことを押しつけられたりとかはあったけど、まぁ小中学校に比べれば天国だったので除外します。
で、僕は。
自分でいうのもなんですが。
相当に我慢強く、優しい人間です(笑)。
父も母も、それはそれは僕のことを可愛がってくれました。
命より大切にしてくれました。
僕を、愛してくれました。
だからこそ僕は思いました。
この人たちを悲しませたくない。
この人たちに、自分がいじめられていることを悟らせてはいけない、と。
・・・ただ・・・
そんな子どもながらの気遣いは・・親には全部バレていました。
僕は、僕が22歳の時に母を亡くしています。
そのとき、遺品の中から母がずっとつけていた日記が出てきたのですが。。
- 僕がいじめられていることを知ってショックと怒りで狂いそうになったこと
- 昔から自分の言いたいことを言えない僕にここで手を貸したら、一生『助けを求められない人間になる』と考えたこと
- 父と相談し、僕から助けを求めてくるまでは、絶対に口を出さないでおこうと決めたこと
- 僕がいじめられて帰ってくるのを見る度、胸が張り裂けそうだったこと
- 僕は知らなかったけれど、何度も学校に足を運び、担当に対策を取るよう訴えかけていたこと
・・・
等々が、ノート数十冊に綴られていました。
結局。
僕から親に助けを求めることはありませんでした。
親から聞かれることもありませんでした。
その優しさに、今はものすごく、ものすごく感謝しています。
その一方で、自分が取った「我慢を貫く」という選択が正しかったかは、今でも疑問です。
自分の息子がいじめられているのに手出しできない両親のもどかしさ・心配・苦しみはいかほどのものだったでしょう。
そして、結果は大丈夫でしたが。
もし、僕が自殺していたら、父と母は、どうなっていたでしょうか。。
子どもを自殺させずに9月1日を乗り切る方法
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
9月1日に僕の父と母がやってくれたたことは、極めてシンプルです。
だけど、そのおかげで、僕は不条理な暴力に屈せず、生き抜くことができました。
彼らが僕にしてくれたこと、それは
- 家族そろってゆっくりと朝食をとってくれた
- 「世界最後の日にかける言葉」をくれた
- 「僕が帰ってきてから一緒にやること」の約束をしてくれた
家族そろってゆっくりと朝食をとってくれた
特に豪華なご飯が出てきたわけではないですが・・
長野の夏休みは少し前倒しで終わるので9月1日ではありませんでしたが、始業式の朝は、いつもより1時間早く朝食が始まるのが我が家のルールでした。
普段より長い時間をかけてゆっくりと取る食事。
普段よりゆっくり流れる時間と、普段より多い会話。
「あと何分で学校にいかなければいけない」と追い詰められた感が少しだけ緩んで「ほっ」としたあの感覚、今でも覚えています。
人間、追い詰められていると気持ちが内向きになります。
気持ちが内向きになると「孤独」を感じます。
孤独は・・・「死にたい」への第一歩です。
だけど、ほんの少しだけ気持ちを緩めることができれば。
子どもは「一人じゃない」ことを思い出せます。
「世界最後の日にかける言葉」をくれた
食事が終わりにさしかかると、
「今日が世界最後の日だとしたら、僕に言いたいことがある」と話を切り出してきました。
その言葉は毎年同じで。
「睦月が自分の息子で良かった。生まれてきてくれてありがとう」
でした。
当時はまったく意味がわかりませんでした。
今だって、妻に「今日が世界最後の日だとしたら・・・」なんて言われたら「?」ってなっちゃいます。
きっと両親は、僕に本気の言葉をかけたかったんだと思います。
だから、一番大切な言葉を伝えるシチュエーションに「世界最後の日」を選んだんだと思います。
・・・父に何度か聞いたことがありますが「そんなことあったっけ?」ととぼけて教えてくれないので、真相は闇の中です。
だけど、その言葉を聞いて
子供心に
「今日が最後なのはイヤだ。もう一度聞きたい」と強く思いました。
親子や家族によって、最後の言葉は違うと思いますが。
きっと。
世界最後の日の言葉が、お子さんの「次の世界の最初の日の言葉」になるはずです。
「僕が帰ってきてから一緒にやること」の約束をしてくれた
家を出る頃。
大体、父の方が
今日は「●●(テレビ番組)があるから一緒に見よう」とか
「久しぶりに将棋をやろう」とか
「早く帰るからキャッチボールをしよう」とか
「今日は母さんの代わりに二人でカレーをつくろう」とか。。。
・・・
そんな約束を求めてきました。
学校につけば、夏休みの間に溜りに溜ったいじめが怒濤のように押し寄せてきて。
誰も助けてくれないことがわかりきっているから、本当に孤独で。
孤独の影から「死にたい」気持ちが顔を出してきて。。。
・・・
だけど。
思わず「そっち」に行っちゃおうか、と思ったとき、ふと思い出すのは。
父との小さな小さな約束でした。
まとめ
科学的根拠がないとか、その道の専門家でも識者でもないとか。
そう思うのはあなたの自由。
だけど。
どれもお金はかかりませんし、やって損になるリスクは何一つありません。
24時間365日、子どもにつきっきりなんてことができない以上、あなたがお子さんのためにできることには限りがあります。
だったら、できることは全てやったほうがいい。
たとえ神社のお守りと同レベルのことにでも、やらないよりはマシです。