ニュース浅読み 日記

障害者が生きる意味・価値は「人を強く、優しくしてくれること」。

障害者が生きる意味・価値は「人を強く、優しくしてくれること」。

ただでさえ強かった障害者、そして介護に関わる人への風当たり。

相模原市での障害者殺傷事件でさらに強く、ネガティブなものになってしまいました。

殺人事件に寄る死者19人は戦後最悪なのだとか・・・

参考 相模原障害者施設殺傷事件(Wikipedia)

 

これを受けて、先日NHKで放送された障害者のための情報バラエティー「バリバラ」を見てたんだけど。。

少なくとも今回の放送に出演・関わった人だけに限って言えば。

障害者も、介護に関わる人も、番組つくってる人間も。

なーんも信念もって生きてねえんだな、なーんも考えんとただ日々を過ごしてるんだなって、ちょっとガッカリした。

 

いろいろ言いたいことはあるんだけど。

一番ガッカリしたのは

 

誰も『障害者が生きる意味』という話題が出た時、誰一人「これだよ!」って答えられなかったこと。

 

誇りを持って生きている? じゃあ聞くけど障害者の誇りって何だよ?

絶対生きなアカン? だから何でだよ?

尊厳は伝えられているのか? だから障害者の尊厳って何なんだよ!?!?

 

正解なんてないのはわかってるから、そんなもの求めない。

だけど・・・公共の電波使ってるんだったらせめて考えろ!

NHKなんか見たくもない国民から強制的に視聴料巻き上げてるんだから、それくらい考えろ!!

脳みそちぎれ飛ぶくらい考えろ!!!

 

間違っててもいいから。

自分の中だけのものでいいから。

根拠なんていらないから。

自分の答え、信念だけは持っとけ!!

そうやって「人」や「生きる」ってことの重みに向きあおうとしないから、ナメられるんだよ!!!

戦後最大の悲劇「相模原障害者施設殺傷事件」もNHKにとっては数ある放送ネタの1つにすぎない

 

まぁ、半分芸能人みたいな人たちなんだろうけど。

本物の障害者を集められて、介護関係者を呼べるんだから、もっと掘り下げろよ!

何で時間延長してやらねーんだよ!!

視聴率取れないからか?

 

時間取れないなら議題減らしてもいいから、もっと徹底的に討論しろよ!

トピックの結論が出てないのに次へ進むな!朝まで生テレビか!?

 

NHKが国に「受信料強制徴収の特権」を認められてるのは。

民間企業なら何十回倒産してるかわからないクソつまんねー番組垂れ流してもつぶれずに済むのは。

1,000万給料もらって上から目線で「貧困」「格差」を報道する矛盾を許されているのは。

NHKが「スポンサーに影響を受けず、価値のあることを報道する機関」だからだろ!?

 

働け!!!

 

 

あと出演者。

言葉選んでるのかなんか知らんけど。

何話すか決まってるんだから、ちゃんと準備しとけ!!

 

まともな人もいたけど。

結構専門家っぽい人やレギュラー出演者が意味わからんこと言ってて何度も「はぁ?」って口に出してしまった。

 

以下、番組内での出演者の発言です。

参考 バリバラ「緊急企画 障害者殺傷事件を考える」(NHK)より引用

 

今、大きい事件として取り上げられるけれども、その中でも埋もれている障害者がいる。

生きているんだ、地域で生きているんだ、障害者である前にひとりの人間として地域で扱え、と言っていきたいなと思ってます。

土本秋夫さん (知的障害/「ピープルファースト北海道」会長)

 

何?

具体的に何をどうしろと?

 

事件が起きてから今まで、僕も、実はむちゃショックで、むちゃ怖かった。

それは殺されるということではなくて、今の社会の人たちがほんまに障害のある人たちについてどう思ってるんやろか、大変な人を、ちゃんと命を救おうっていう力がほんまに働く世の中かとか、そういうことをいろいろ考えていくと、むちゃくちゃ怖いな、って思ったね。

でも絶対生きなあかんし。

生きててしかたがない人なんか一人もおらへんし。

みんなでちゃんと生きていこうな、みんなで助け合いながら生きていこう、というメッセージを出していかないとあかんのかな、と思う。

玉木幸則さん

 

何で「絶対生きなあかん」の?

何で「生きててしかなたい人が一人もいない」なんて断言できるの?

何で「みんなで助け合いながら生きて」いかなきゃいけないの?

そもそも、、助け「合う」っておかしくないか?

 

・・・おかしくないんだけど、それは後で。

この人は本人自覚してないかもしれないけれど。。

これまでの放送見てても「障害者様やぞ!健常者は俺ら助けるのが当たり前や!!」って発言が目立つ。

好きになれない。

 

虐待をおこす職員、そういう人が(その施設を退職して)社会に出て違う施設で働く、というようなことを想像したら、(施設長として)簡単に解雇とか退職を認めるいうこと、僕はできませんね。

(そういった職員を)育てられないかもしれない、そんな次元じゃない人もひょっとしたらおるかもしれない。

でも施設の責任として、そういう人がこれからどういった人生を歩むのか、まさにこういうことをしてしまった責任を施設は負わなければならないんじゃないかというのは、ちょっと思いますね。

重利政志さん (障害者入所施設長)

 

この人の発言が、というよりそんなことを教育しないといけない連中を雇わないと回らない業界に危機感を感じる。

会社が従業員の人生にまで責任負わなきゃいけないって・・・「大人」って言葉の定義が変わってしまうよ。。

 

僕はね、あらゆる人間が役に立つっていう話はちょっと無理があるなと思っていて。

でもね、“役に立たん”っていうことと、その人が“生きとったらあかん”っていうことは全然別のことですよ。

役に立たんかったって、その人は生きていたらあかんのか、それは違う、って確実に言えるわけですよ。

そういう、まあ言ったら“役に立ってない”人間であってもちゃんと生きていけるように世の中を組み立てていく。

それ以外にああいう(「障害者は生きていてもしょうがない」という)話、あるいはそういうものを肯定してしまう現実に対抗する手立てはないんだ、と。

立岩真也さん (社会学者/立命館大学大学院教授)

 

最初ちょっと「おぉ?」って期待したけど・・・やっぱアカンかった。。

じゃあ何で「役に立たなくても」生きてていいのか、それが聞きたいんだよ。

役に立ってない人間でも生きていける世の中の仕組みを、他の人間がいろんな負担を背負ってまで作るのは何で!?!?

いい大学の教授さんなんだから、それくらい答え用意しといてくれよ。

 

 

あと番組では出てないけど、今HP見たらこんなの書いてあった。

「尊厳は伝えられているのか?」

なぜ重度の障害者は同じ場所の、同じような部屋の中に住まないといけないのか? それをみんなで根本的に考えないといけない。

常識の非常識というか、施設では常識になっているような、ちょっと(入所者に)手が出たとかは、通常の社会では許されないわけで。

結局やられっぱなし。

あと重利さんも言ってたけど、そんな虐待するひとは年齢が高いのが特徴。

これからそのひとたちがなにをもって(支援現場の部下に)教育していくのか。

尊厳を持って接することは伝えられているのか。 考えていかなあかん。

ただ、セキュリティーを強化したらいいのか? 事件起こしたやつを捕まえたらいいのか?それは違う。

玉木幸則さん

 

同じ場所ですまないといけないのはなぜか? 専門の施設で専門家が付かないと生活が成り立たないからだよ!

っつーか、そもそもここでいう「尊厳」はどんな意味で使われてんの?

あんたがいうと「障害者をもっと敬え。介護職員と健常者はもっと我慢しろ」という意味にしか聞こえん。

何?障害者の虐待は糾弾するのに、介護士が障害者に暴力振るわれるのは見過ごせってか?

 

セキュリティや犯人の逮捕だけじゃ足りないってんなら、具体的に何すりゃいいの?

この人だけじゃないんだけど

毎回毎回、「あとはみんなで考えよう♪」って姿勢が好きになれん。

そりゃ考えるけどさ。

こういうことって自分の意見ありきじゃねーの?

合意・同意は大切だけど「丸投げ」を民主主義・相互理解とごっちゃにすんな!

そもそも「生きる意味」「生きる価値」って何?「経済回せなきゃ無能? 福島さんの問題提起が鋭い!

そもそも「生きる意味」「生きる価値」って何?「経済回せなきゃ無能? 福島さんの問題提起が鋭い!

出演者の発言は軒並み残念だったけど。。

番組にメッセージを寄せてくれた福島智さん(全盲ろう/東京大学先端科学研究センター教授)の指摘は鋭かった。

なぜ、これほど心が痛むのだろう。

なぜ、これほど恐れを感じるのだろう。

無抵抗の障害者の殺害が、「二重の意味での殺人」と感じられるからだろうか。

肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。人の尊厳や生きる意味自体を否定する「実存的殺人」。

だが、魂が凍りつくようなこの不安の原因は、たぶんそれだけではない。

私たちと容疑者が、まったく無関係だとは言い切れないと、私たち自身がどこかで気づいてしまっているからではないか。

容疑者は衆議院議長への手紙で、障害者を殺す理由として、「世界経済の活性化」をあげた。

障害者の存在は、経済活性化を妨害するというのだ。

しかしこうした考えは、私たちの社会にもありはしないか。

労働力の担い手としての経済的価値で、人間の優劣が決められる。

そんな社会にあっては、重度障害者の生存は軽視されがちだ。

そしてほんとうは、障害のない人たちも、こうした社会を生きづらく、不安に感じているのではないか。

なぜなら、障害の有無にかかわらず、労働能力が低いと評価された瞬間、社会から切り捨てられるからだ。

障害者を刺し殺した容疑者のナイフは、同時に、私たち一人一人をも刺し貫いている。

バリバラ「緊急企画 障害者殺傷事件を考える」(NHK)より引用

 

半分当たってて、半分違ってる、かな。

だってさ。

障害がなくても。

いなきゃ日本が回らなくなる仕事してる非正規労働者も、人間扱いしてもらえねーじゃん。

 

障害なくても、いい大学出ても、どんなに努力をした人でも。

捨てられる人、切られる人、何かの犠牲になる人は必ずいるわけで。。

 

人間は、っていうかこの世に生きるものは。

「全員が」幸せになることは絶対にできないんだよ。

 

動物の世界では「食料」「水」「交尾相手」とか、”足りないもの”がシンプルで。

強いものが弱いものの命を奪うことで問題が解決する極めてわかりやすい仕組みで物事が回っている。

 

それに比べると人間社会は複雑。

「命を奪う」ことが禁止されているから。

そして、「足りないもの」が動物界ほどシンプルじゃないから。

 

だけど、「足りないもの」はわかりにくく形を変えただけで確実に存在する。

「お金」であり、「名誉」であり、「不安や未知への恐怖」であり、そしてそれ以外の「何か」であり。。。

それがわからない限り、イジメはなくならない、人権問題はなくならない。

もちろん、障害者と健常者が対等に手を取り合って生活できる世の中なんて、、来ない。

障害者が生きる意味・価値は「人を強く、優しくしてくれること」。

障害者が生きる意味・価値は「人を強く、優しくしてくれること」。

僕が社会人1年目の時に亡くなった母は、本当に人間の出来た人で。

何をどうすればこんなヘンチクリンな子どもが生まれるのか、どっかDNAが欠損してるんじゃないかと不安になるわけですがww

 

その母が折にふれて

人には必ず生まれてきた理由と、果たすべき役割がある。

それはその人が天寿をまっとうすれば果たされるようにできている。

だから、生きる意味や価値、理由なんて考えなくていい。

人に迷惑さえかけなければ、どんな生き方をしたっていい。

ただ元気に、楽しく、精一杯に。

生きなさい。

というようなことを言ってくれました。

 

これ。

母が亡くなった時、遺品を整理してて。

彼女の日記にこんな意味のことを僕ら兄弟に向けて書いてあったのを見た時は、涙が止まりませんでした。

 

人には必ず生まれてきた理由と、果たすべき役割がある。

それはその人が天寿をまっとうすれば果たされるようにできている。

っていうところが根拠なしで展開されているので、ツッコミたくなってしまいますが。。

文章・理論・論理としては少し弱くても。

そこに目をつぶって疑問持たずにこの考えを胸に人生を歩めたら、きっと人は幸せになれます。

 

 

で、障害者が生きる意味・価値に話を戻します。

 

僕が考える障害者の生きる意味・価値は大きく2つ。

「経済・雇用」への貢献と「人を強く、優しくしてくれること」です。

障害者は経済・雇用に貢献している

こういうと語弊がありますが。。

今、障害者に携わっている人(主に介護職の方になるのかな)は、障害者がいるから雇用され、お金をもらい、生活ができています。

 

障害者のための機器・器具をつくるメーカーが存在し、そこに雇用が生まれます。

こういった機器・器具をつくるための部品をつくる会社、部品のための原料を加工する会社、原料を運ぶ会社、掘る会社・・・

必要があるから医者が病院に採用され、大学では医学を教え、研究し、そこに税金が投入され、お医者さんやその卵、研究者たちがご飯を食べられる。

障害に関する本、公共交通機関や公共施設のバリアフリー化・・・

障害者のまわりでは常にお金が動いています。

 

さらにものすごく語弊がありますが。。。

障害者がいなければ、仕事につけない人が世に溢れかえっている可能性だってあるわけです。

 

障害者は、社会の経済的活動に参加しています。

税金は投入されていますが、少なくとも100%ムダ使いではありません。

障害者は人を強く、優しくしてくれる(お互いがその気になれば)

前の章で、

「足りないもの」はわかりにくく形を変えただけで確実に存在する。

「お金」であり、「名誉」であり、「不安や未知への恐怖」であり、そしてそれ以外の「何か」であり。。。

それがわからない限り、イジメはなくならない、人権問題はなくならない。

もちろん、障害者と健常者が対等に手を取り合って生活できる世の中なんて、、来ない。

という話をしました。

 

この中に出てくる「名誉」「不安や未知への恐怖」「それ以外の何か」。

それらに人が対抗し、乗り越えていくための知恵と力を身につけるために障害者は存在しているのではないでしょうか。

 

そして。僕は。

根拠を聴かれるとモジモジしてしまうのですが。。

「それ以外の何か」は「人間の不完全さ」だと考えています。

そして、それを乗り越えるために必要なのが、「優しさ」と「強さ」。

 

 

自分のことばっかりで恐縮ですが。

僕はけっこう優しい方です。

歴代カノジョ全員に「好きなところ」を聴いたら「優しいところ」を1番に挙げてもらいました。

 

そんな生まれつき優しい、というか優しい以外何の取り柄もない僕ですが。

今の妻と出会って、付き合って、結婚して。

あと、妻の友人は自然と障害者が多いので、そのつながりで一般人より多少は多くの障害者と接してきて。

 

ホンの少しだけかもしれないけれど。

出会う前より、優しく、強くなれたと思います。

 

いろいろ思うところはあるけれど、いくつか挙げるとすれば

  • 待ってあげられるようになったこと
  • 断ってあげられるようになったこと
  • 彼女たちの努力に目が行くようになったこと
  • 彼女たちの努力する姿の美しさに気付けたこと

そして、彼女たちの努力が実った時の喜びが大きくなったこと。

 

 

例えば。。

今でもたまには我慢の限界で嫁の仕事取り上げちゃったりすることあるけどそれでもその後、それを反省できるようになりました。

あと。

ちょっとつまづくとすぐ転んでしまう嫁が、ナイスデイ踏んで筋トレして、いつも転ぶ道を転ばずに歩ききったりすると、眼の奥がジーンとなります。

 

 

「程度が違う!」「一緒にするな!!」と一蹴されたら、はぁ。。って感じだけど。

 

結局、「障害者の生きている意味・価値が分からない」ってのは・・・「考えてないから」なんじゃね?

・・・って思っちゃうんよ、僕は。

 

じゃあ具体的に何をするか?

うーん。。

このブログ印刷して、毎日読み聞かせてるとか。

 

(あながち冗談でもないんだけど)冗談は別として。

障害者も介護に関わる人も、そして今は関わっていないけれど、という人も。

一人ひとりが

  • 人が生きる意味・価値
  • 障害者が生きる意味・価値

を考えて考えて考えて。

根拠なんていいから、自分なりでいいから。

その答えを無理矢理にでも出して。

それでも出ないならとりあえず「なるほど」って思えるものを心にコピペしてしのいで(この記事とか?この記事とか?この記事とか?)。

 

いつか本当に自分だけで出した答えが見つかったら。

生きることへの信念になるまで強く心に刻むことが大事じゃないかな、と思う次第です。

まとめ

読み返したら何言ってんのかわかんねーけど。

すっげぇいいこと言ってるのはわかるので、このままアップしちゃいますwww

 

最低限のスキルは必要なんだろうけど。

最終的には「才能<努力と情熱」だーね。

 

障がい者の雇用を2020年までに1000人
月給25万円の給料を払うと宣言している会社の話

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

「いいね」つけてくれたり、SNSでシェアしてくれるとさらにうれしいです。

-ニュース浅読み, 日記